吉林省長春。満州国の首都「新京」と呼ばれた時代もあり、当時は大規模な国都建設事業が展開されたそうです。建設された建物や道路は現在も現役として利用されているのですが、市内に到着して気づいた事は至る場所に残り香が充満している事でした。

都心部に息づく満州国の歴史遺産

今回宿泊したホテルは長春市内中心地のシャングリラホテル。徒歩圏内に人民広場があり、ぐるりと丸い環状交差点になっていました。

びっちりスケジュールが入って自由時間が余り無かったのですが、最終日の夜に少し時間が出来たので夜の人民広場周辺を歩くことに。

人民広場の周辺の道路を歩くだけで小一時間かかったのですが、整備された道の広さは現在の自動車の交通量にも十分に耐えられる車線を確保。

当時の建物は長春市の文化遺産として保護しつつ、満州国中央銀行は現在、中国人民銀行として、電信局等はチャイナ・ユニコムやチャイナ・モバイルの営業拠点として使われ、現在でも存在感のある建物は綺麗にライトアップされていました。

溥儀博物館にも訪問したので、今回撮影した建物に共通する点を推測すると建物自体の作りは非常に強固で機能的。だからこそ今でも使い続けられているのだと思います。

日本人の技術的能力の高さを肌で感じる街並み

長春の移動は友人の地元友人の車で移動。助手席に座ったおかげで、長春の街をじっくりと拝見できたのですが、上海以上に90年以上も前の建物が本当に多く使われていました。

これら建物をゆっくり見て回りたかった!というくらい、壮大で素晴らしい建物群でした。

助手席からの夜景の長めはコチラから

戦争は当然いけないのですが、当時の日本人の設計の技術、建設に関わる管理能力、そして京都と同じく碁盤の目のように設計された都市計画による街の道路などを間近に目にすると、日本人の技術的能力や設計能力の高さを感じることができる街でした。

だからこそ、今でも長春で使い続けられていると思った、短い訪問の感想です。そして東北地方の中国人らしさを少しだけ感じ取れ、私の知らないディープな中国がまだまだあるんだな、と頭をガツンと殴られた気がした今回の長春訪問。

ちょっとディープすぎて書けませんが、本当中国は奥が深い。そして私はまだまだよちよちレベルです。

次回は吉林省延吉がターゲット

今回、最終日の夜の散歩をした折に、長崎の実家に電話を入れました。

私の祖父は終戦間近の数ヶ月前に招集を受けて、中国の戦地に向かい戦死しています。確か東北地方だったと記憶していたので、聞いてみると「吉林省延吉の捕虜収容所で病死」したと通知を受けたそうです。

長春市と延吉市は車で3時間以上かかる場所。北朝鮮とも近く、朝鮮族が多く住む地域の一つです。父、叔母など一度現地に訪問して父(私の祖父)が、どんな場所で亡くなったのか見てみたいと希望しているのですが、年齢的にも現在の事情だと流石に訪問は難しい。

そのため次回は私個人で延吉に足を伸ばし慰霊の旅を計画しています。動画が簡単に撮影できる時代。現地の雰囲気を撮影して親族に見せてみたいと思っています。これも中国で生活をしている私の責任なのかも知れません。

長春の都市計画こぼれ話

ネットで検索すると、東京大学の学生さんが都市計画という題材で長春や大連などの訪問記がありました。ご興味のある方は御覧ください。
都市デザイン研マガジン272号

東京大学 都市デザイン研究室